特別編Part5 2000〜2004 デジカメ写真になってから
2008.1.14 ShorTrip特別編新設にともないタイトル変更
「ShorTrip」とは「Short Trip」を短く言っただけの造語です。
ここではその名の通り「些細な旅」をテーマとしてお届けします。
特別編 ちょっとだけ昔の写真から(2000-2004)
はじめに
今春、日本の高度経済成長を影で支えた立役者たちが、東京からその姿を消す。国電103系と、東海道線を支えてきた、113系である。
今、首都圏を走る電車の多くはステンレスでできた銀色の車体に路線識別用のカラフルな帯を巻いている車両ばかりですが、かつてはウグイス色やオレンジ、黄色1色の通勤形電車や、湘南色や横須賀色と呼ばれる鮮やかなカラーリングの車両が活躍していました。
高度成長期に登場した彼らは、昭和から平成、そして21世紀を迎えても、ずっと走り続けました。
スマートで魅力ある、後輩が現れるまでは。
今回は、そんな彼らのかつての姿や、今は見られないJR、私鉄の車両を紹介してみたいと思います。なお、写真は管理人の撮影当時の住環境の関係で、地域がかなり限定されていますことを予めご了承願います。
写真はあまり多くないですが、これを見て、ちょっと昔の東京を思い出してみてはいかがでしょうか。
part.1 JR編
黄色の103系 幼い頃、南武線を見て育ったので、電車といえばこの黄色い車体しか思い浮かばなかった。 JR鶴見線 鶴見〜国道間 2002.4.7 |
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同じく黄色の103系 こちらは山手線からのお下がりで、窓が高い位置にある。 JR南武線 登戸 2001.10.19 |
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103よりも古い101系。国電初の高性能車で、その後の国鉄の電車の範となった。 1957年の登場からもう45年経過しており、南武支線でワンマンとして細々と走っているのみだった。 JR南武線 浜川崎 2002.4.7 |
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オレンジ色の103系 中央線快速ではなく、これは武蔵野線で、東京へ直通する。 ゲームショーで幕張行った帰りに撮影。 JR武蔵野線 西船橋(?) 2003.9.28 |
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同じくオレンジ色の103系 JR武蔵野線・京葉線 南船橋 2003.9.28 |
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東海道線を走る113系。 まだ新車なんて夢にも思わなかった頃。 JR東海道線 横浜〜保土ヶ谷間 2001.10.1 |
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当時の東海道線はこの113系か211系だけでした。 頻繁に見ていた当時は、個人的に全く面白みがなかったので、殆ど写真は撮ってませんでした。 ちなみにこの日は、江ノ電ロケをしてました。 JR東海道線 藤沢 2002.12.23 |
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一番最近撮った写真。 E231-1000が東海道線に進出し始めた頃。 JR東海道線 熱海 2005.1.1 |
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ちょっと前の山手線を走っていた205系。 かつて103系を山手線から追い出した車両が、数年後新車(E231-500)に全部駆逐される日が来ようとは。 そして他線に移り、残っていた103系をまた駆逐する役目を担うことになってしまうとは・・・。 JR山手線 浜松町 2002.6.30 |
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湘南新宿ラインがスタートした当時は、宇都宮や高崎から211系、115系が来ていました。今はほぼ全てE231-1000になってしまいました・・・。 JR東海道線・横須賀線 戸塚 2002.11.10 |
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「スーパービュー踊り子」の旧カラー。 白と薄い青のツートンだった。 並ぶのはこちらも風前の灯火となった小田急9000系 (part2参照) JR東海道線 藤沢 2002.12.23 |
part2 私鉄編(といっても小田急、東急、京王だけですが)
ぼくは小学1年〜大学まで、小田急沿線に住んでいた。 その中で一番のお気に入りが、このNHEこと2600形だった。 いまはなき「湘南急行」で、開業当時からの多摩川鉄橋を渡る。 この光景はすべてが思い出に変わった・・・。。 小田急小田原線 登戸 2002.7.13 |
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小学生のころはまだ釣り掛け駆動&非冷房だった4000形。 車体はNHEとほぼ同じ。 HEこと2400形のモーターを再利用して高性能化&冷房付きとなった が、回生ブレーキはなかった・・・。 小田急江ノ島線 藤沢 2003.1.4 |
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営団(現東京メトロ)千代田線用乗り入れ対応の9000形。 正面の顔つきは、のちの小田急車両にも波及する。 この2,3年のうちに、これらの車両が一気に消えていくのはやはり寂しい。 小田急小田原線 生田 2003.5.24 |
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小田急開業60周年に登場したロマンスカー「HiSE」10000形。 登場から20年弱ではあるが、昨今のバリアフリー法に抵触するため、 引退が決定。2編成は今後長野で活躍するそうな。 小田急小田原線 生田 2003.5.24 |
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お次は少し昔の東急。 いまはなき「目蒲線」時代の7200形。ダイヤモンドカットと呼ばれた前面が特徴。いまは上田、豊橋で活躍中。 隣に半分写っているのが、「目黒線」用の新・3000形。 東急目蒲線 奥沢 2000.7.2 |
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世田谷線に玉電の生き残りが走っていた頃。 昭和25年製の「80形」が、最後の力走を見せる。 背後のホームは小田急線豪徳寺駅。まだ工事は行われていなかったか? 東急世田谷線 山下 2000.7.2 |
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その2 東京オリンピックの年に登場し、玉電最後の新車といわれた「150形」 台車が更新されなかったので、2001年の引退まで釣り掛け駆動モータの唸る音を聞くことが出来た。 東急世田谷線 三軒茶屋〜西太子堂 2000.10.1 |
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京王電鉄初の20m車、6000形も登場からすでに30年以上。 都営新宿線乗り入れ対応の同車も、後継車が登場し置き換えは時間の問題となってしまった・・・。 かつての京王といえば、写真のような細いエンジの帯をしていたのですが、今はピンクと青のやや太い帯と「KEIO」ロゴが追加されています。 京王電鉄京王線 下高井戸 2002.7.7 |
あとがきにかえて〜鉄道写真撮影に思うこと〜
管理人が2000年にはじめてデジカメを買ってから、これまで撮影してきた写真の中から本テーマにお誂えの写真を載せてみました。まだデジカメ操作に慣れていない頃で、ごらんの通り、ピンボケの写真も多く、本来公開に耐えない写真ばかりですが、この数年で消えていった車両や、今走っている車両の昔の姿を半永久的(?)に残すため、このような形を取らせていただきました。
しかし、ここで紹介したJR103系はまだ関西圏などでは体質改善の上元気に走っていますし、113系も千葉地区や今住んでいる静岡地区でも4〜6両の短編成で今も走っています。
話は変わりますが、最近は新線の開業や新車の登場、あるいはブルートレインなどの列車が引退するときなどに、鉄道ファンはもちろんのこと、そうでない一般の人や、中には女性の方まで、持っているデジカメや、カメラ付きケータイで写真に収める姿をよく見ます。デジカメの手軽さや、鉄道趣味が一般に浸透したと思うところもあり、それはそれでよいのですが、中には良い写真を撮ろうと人を押しのけたり、入ってはいけない、危険な場所で撮影したりする場面を見ることも増えてきました。くどく言うつもりはないですが、最低限の「マナー」は守って欲しいものです。
首都圏に続々登場するE231系シリーズ、今後は中央線に後継車E233が、京葉線にはE331という連接車が登場することもあり、こんどは201系が置き換えの対象になってしまいました。数年したら、また電車事情がガラッと変わっているかも知れません。私の場合、出かけるときは、可能な限りデジカメを持っていって(気が付いたときに)写真に収め、記録として残しています。いつか来る「最後の日」のために
(2006.3.21作成,2008.1.14タイトル変更)。
to be continued・・・
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