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ShorTrip
「ShorTrip」とは「Short Trip」を短く言っただけの造語です。
ここではその名の通り「些細な旅」をテーマとしてお届けします。

 番外編 2005年6月某日 「城東電軌〜都電の幻影を追う」



竪川人道橋の解説板より

<城東電軌軌道の歴史>

大正6年12月 錦糸町〜小松川間で開業
大正10年1月 水神森〜大島間開通
大正13年7月 大島〜仙気稲荷前間延伸開業
大正14年12月 東荒川〜今井間開通
大正15年3月 小松川〜西荒井間延伸開業
昭和2年3月 仙稲荷前〜東陽公園前間延伸開業
昭和3年6月 東陽公園前〜洲崎間延伸開業
昭和4年5月 洲崎を80m延伸し市電と接続
昭和17年2月 陸上交通事業調整法により東京市に買収され市電編入
昭和27年5月 都電26系統(東荒川〜今井)廃止。トロリーバスへ。
昭和43年9月 都電25系統(西荒川〜日比谷公園)廃止。
昭和47年11月 都電29系統(葛西橋〜須田町)、38系統(錦糸堀車庫前〜日本橋)廃止。
早稲田〜三ノ輪橋間をのぞき都電撤去計画終了。

JR亀戸駅で降り、東口からほどなく歩いたところにある、京葉道路上の交差点「水神森」。左側はサンストリート亀戸という、大型ショッピングセンターです。

いまは緑道公園になっているこの区間は、昭和47年11月まで都電が走っていました。今回のShorTripは、ここを起点にこの緑道を散策し、33年前の都電を追いかけてみようと思います。
赤い字が見にくいかもしれませんが、現在位置はここです。
500メートルほど歩いたところで、橋が見えてきました。
柵がビューゲル(集電装置)の形だったり、レールを意識した歩道だったり。
かつて、都電29,38系統が走っていた確たる証拠がここにあった。
竪川に架かるこの人道橋、かつては都電専用橋であったにもかかわらず、近道として住民が渡っていたらしい。

その後、人道橋として生まれ変わり、川もこの部分は暗渠になってしまった。上は首都高速小松川線。
下に降りてみる。
川の上は人工地盤が被さり、公園となってしまったが、鉄橋の基礎部はほぼ都電時代のまま。
橋を越えると、さらに人気が少なくなる。

じっと立ち止まって目をつぶると、どこからか都電の釣り掛け音が・・・。

するはずもなく、いまや高速道路のトラックの音がうるさい・・・。
さらに歩くと、大島三丁目。新大橋通りを横切る。
いまはこの地下を都営新宿線が走っている。

緑道はここから右に続いている。
右にカーブする緑道(軌道跡)。

一番上の都電の写真は、おそらくこのあたり。
現在位置はここです。
水神森からかれこれ30分はあるいています。
大島一丁目電停があった場所。石のベンチがいくつか置いてあった。
都電が走っていた時代から大きな団地は存在していたようだ。

ここから南砂三丁目までは、明治通りを歩きます。
明治通りは、とにかく車がひっきりなしに通ります。

都電が窮屈そうに走っていた姿が容易に想像できそう!?

小名木川に架かる橋の上から撮影。
境川交差点。

都電29系統はここから左折して奥方向の葛西橋へ進みました。
また、38系統は右の南砂、州崎方面へ。きょうの散策はこちらに進みます。
さらに数百メートル歩いて、南砂三丁目に着きました。

ここから都電は右に別れます。ここも今は緑道公園になっています。
南砂三丁目電停のあったところから。

先に小さく見える緑色のガードはJRの貨物線です。都内では珍しく非電化(つまり架線がない)で、ときどき貨物列車が通ります。
ガード橋脚を示す看板。

このことから、かつて都電→城東電軌がここを走っていたことを示している。

・・・歩道ゆえ、自動車等が衝突するとは考えにくいんですがねぇ。(画像加工していますことをご了承下さい)
ガードを抜けてしばらく行くと、こんなモニュメントが・・・。

かつてこの緑道が軌道線だったことを案内しているようだが、線路に乗った車輪(実際に使われていた)が、目立たないようにぽつんと置かれていた。ちょっと寂しい。
散策を始めたときは曇りだった空も、このころには晴れて、少し暑くなりました。

南砂第四小学校前電停があった場所で、右手に小学校の体育館が見えます。緑道はここから左に大きくカーブします。
南砂第四小学校。

この位置に南砂第四小学校前という電停があった。停留所と言っても、盛土をした程度の模様だが。

放課後なので、生徒はみんな帰ってしまった様子・・・!
歩いててこんなモノを発見。

公衆便所の壁に黄色い電車・・・。都電のつもりでしょうか?でもこんな形の電車は無かったよな(強いて言えば、大阪市電や阪堺電車に近い)。

・・・お食事中の方、大変失礼しましたm(_ _)m
この緑道は、真ん中に植樹しており、それを2本の歩道が挟んでいる形だ。よく見ると、片方は歩行者用、もう片方は自転車用になっていた。ちっとも気が付かなかった。

左手は、現在公団住宅になっているが、かつては「汽車会社製造」という、鉄道車両メーカーで、蒸気機関車をはじめ、「こだま形」といわれた特急車両を製造したことで有名だった。
公団住宅内には、小学校、中学校もあるが、ここ「深川第八中学校」は時計は動いているが人っ子ひとりいない様子。仮校舎とあるのだが、一体どういう意味だろう?誰か教えてください・・・。
緑道は永代通りに出たところ、南砂四丁目電停のあった場所でおしまいです。都電38系統はここから右折し、洲崎、門前仲町、日本橋方面へ進みました。

 都電の全盛期〜衰退期をリアルタイムで知らない筆者には、少し遅すぎた追跡だったかもしれない。けれども、数少ない史跡や、ルートをたどることにより、追いつくことはできずとも、都電の幻影を見ることはできたかもしれない。そう自分で納得して、今日の散策を終えることにします。

<参考文献>
「都電 懐かしの街角 昭和40年代とっておきの東京」写真:天野洋一、編著:BRCプロ(明元社)
「RM LIBRARY 22 都電系統案内−ありし日の全41系統−」諸河 久(ネコ・パブリッシング)

※上記書籍の写真と比較されるとより一層楽しめます。


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