「ShorTrip」とは「Short Trip」を短く言っただけの造語です。
ここではその名の通り「些細な旅」をテーマとしてお届けします。
第6回 2007年6月「都電・玉電の保存車両を訪ねて」補足II「荒川車庫の都電その後〜都電おもいで広場訪問〜」
2004年11月に荒川を訪れた際、何とも状態のひどい都電をみた。 |
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今後どうなることだろうと、少し不安に感じていたが、今年になって彼らに転機が訪れた。 荒川線に14年ぶりの新車が登場、あわせて、ここ荒川車庫に 都電の保存館ができるとのこと。 |
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荒川車庫の隣にできた「都電おもいで広場」に、さっそくきました。 | |
PCCこと、かつて銀座通りを走っていた都電5501号。 クリーム色にえんじ帯のデザインで昭和29年に初登場。このカラーリングは、後の都電全車に波及することに(クリーム色は黄色になるが)。昭和42年の廃止まで、銀座通りの「1系統」を走っていた。 都電としては大型の車両、屋根上のパンタグラフも当時はこの形式のみだった。 (一番上の写真と比較してみよう) |
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この車両のみの、足踏みコントローラー。よって従来の2本のハンドルがない。 自動車のようにアクセル、ブレーキを足で踏む方式だったが、乗務員からは扱いづらく、敬遠されたらしい。 |
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で、こちらが「学園号」こと都電7504号。 昭和53年、荒川線がワンマン運転になった際、ワンマン仕様に改造された(当時青帯はワンマンカーの証だった)。冷房化(車体更新)せず、平成10年まで沿線の学校へ通う学生たちを運ぶ助っ人的存在だったため「学園号」と呼ばれていた。 黄色のボディ、冷房なし、木造の車内など、旧都電テイストが残る最後の車両だった。 (PCC号の車内から撮影、2枚目の写真と比較してみよう) |
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一度、イベントのために修復されたらしいが、それには行かなかったので、きれいな姿を見たのはこれがはじめて。感激もひとしお。 番号の「9」というのは、かつて渋谷・青山地区の「9系統」を走っていたことに由来するのだろうか? あ、全体写真撮るの忘れた・・・。 |
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おもいで広場入り口にある、自動販売機も都電カラーに・・・! | |
ようやく安住の地を得たという感じ。 でもできれば飛鳥山みたいに、屋根をつけてほしいとも思うのですが。 |
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おまけ1 話題の中心である新車「宝くじ号」を王子で捉える。 しかし新幹線ガード下に線路があるので、どうしても暗い。 |
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おまけ2 荒川線リニューアルを記念した花電車。 (TopPhotoとは別カット) |
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おまけ3 三ノ輪橋停留所が昭和風にリニューアル。 見づらいけど、時計も復元されている。 |